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第26話
とんでもない秀吉のつぶやきとは「再来月でここも閉めなきゃならんかなぁ。」
という一言だった。
「え?閉める?」
僕はその一言に反応してしまったのだが、ミミさんと子供たちは我関せずという感じでリラックスしていた。
『閉める』の意味がわかっていないのだろうか。
それとも秀吉の
『閉める』
という独り言を聞き流しているのか。
それともそれとも
『閉める』
ってことを全然聞いていないのか。
それともそれともそれともそもそも実は
『閉める』
ことを前々から知っているのだろうか。
…いずれにしても、ここをなんで閉めるんだ?
今は僕の計算では3月17日だ。
春休みだし丁度、観光シーズンでこれからめちゃめちゃ忙しくなるはず。
再来月ということは5月のゴールデンウィークなんかもきっと稼ぎ時だし、その5月が終わったら閉めるということ?ってことはあんまり儲かってないのかなぁ…。
そんなことを考えていたが、考えてもしょうがない。
よし!んもうこの際、直接聞いてみよう!秀吉に直接問いかけてみる。
「ね、秀吉。なんで『閉める』の?」
「おぉ。おにぎり。なんだ?」
おぉっ!!いきなり秀吉が呼応する。
こいつもしかして猫語わかる人!?
「ホテル多吉儲かってないの?」
多分というかもちろん人間には僕がニャニャニャ、ニャーンニャン?としか聞こえていないはずだが!
どうだおい!
「そうか。熱いか。よし、そろそろ出るか。」
ぬぁー…。やっぱり通じてないですね…。そうですね…。
秀吉は湯船からゆっくりと出ると僕たちを洗面器から取り出して洗面器をシャワーで流すと脱衣所へ向かった。その後をみんなで追いかける。脱衣所に出ると、秀吉に半ば強引にバスタオルでぐりぐり、ゴシゴシと体を拭いてくれた。
「いて、イテテテテ。痛いよ秀吉っ!」
手つきは悪くないんだけど力が強いんだよなぁ。。。
タオルドライをされた僕らはプリン、チョビ、僕、ミミさんという順に秀吉にドライヤーで体を丁寧に乾かしてもらった。
シャンプーや石鹸なんかは全然使っていないのだが、僕らの毛はフッカフカになった。
「このお湯はね、ノミもダニもやっつけてくれるんだよ。お風呂に浸かると痒いの飛んで行っちゃうんだから。」
ミミさんが力説したが、なるほどそれも頷ける。寒い季節だからか、僕の体にはノミもダニもついたことがないのだが、僕の全身の毛は少しベタベタしていた。しかしドライヤーで乾かした僕の体は今やフワフワの小鳥の羽毛のようだった。石鹸やシャンプーで洗ってもいないのに、こんな洗いあがりになるのは温泉の効果なのだろうか?
そんなことを考えているとまたあの籐の籠に入れられて僕らは秀吉の部屋へ戻って行った。来たときに見た喫煙ルームのあの男性はすでにいなかった。 しかし、ここを『閉める』ってなんでだろう。『閉める』と僕らはどうなるんだろう。カツさんはどうなるんだろう?秀吉はそれは本意なんだろうか?そんなことを考えていたら僕は赤々と光の灯るこたつの中でいつの間にか眠りについていた。
翌朝。秀吉の威勢の良い声で起きる。
「我が猫達よ。朝飯だぞ!起きろー。」
「う。うん…。眠いけど…。メシ。食べます…。」
昨晩あれだけ食べたのに翌朝にはものすごくお腹が空いていた。
日々生きている。という実感もあるが、それよりも生きなきゃ。食べなきゃ。という義務感に手を引かれて半ば強引に瞼を開く。
すると、そこには白衣に身を包み、お寿司屋の大将みたいな格好の秀吉が仁王立ちしていた。そして仁王立ちした秀吉はゆっくりと優しく目を閉じ、右手の人差し指を立てて雅楽を奏でるように言ったのだった。「今日の朝ごはんは鮭の煮物。利尻昆布の香り。」
それはとてもメロディアスで心に響いた。
さらに響いたのが次の一節だ。
「さぁ、我が猫たちよ。朝だぞ。たんと喰え。喰って喰って今日一日を幸せで悔いのない一日にせよ。」
喰って喰って、喰い(悔い)の無い一日にせよ。って…。つまりこれは掛詞だ。
ずいぶん前に国語の授業で習ったな。こんな洒落た日本語を朝から聞いてなんだか少し秀吉の教養というか日本人の古き良き部分を肌で感じた僕は、秀吉という人間にどんどん惹かれていくのだった。
しばし感銘を受けつつ呆然としていると
「いただきまーす!」ハムハム…。気が付くとプリンとチョビとミミさんがすぐ隣でものすごい勢いで鮭を頬張っているのに気付いた。
「な、なにーっ!いつの間っ!!」
動物に油断は禁物なのだ。常時弱肉強食モード。感傷に浸ってる暇はない。
僕も負けじと鮭を頬張る。
しかし…。頬張った瞬間。その鮭は今まで食べたことのないものだったので、常時弱肉強食モード!油断は禁物!と肝に命じたはずの僕は鮭を噛むことも忘れて固まってしまった。
「こっ、この柔らかさ…。フッカフカじゃないか…。口の中でホロホロと崩れていくこの感触。まるで鮎を食べているようだ…。これが鮭だとっ!?そして、この奥深い旨味は…。ま、まさか北海道利尻産の昆布で煮ているからなのかっ!!」
鮭と言えば、毎年年末にじいちゃんから送られてくる新巻鮭や、店で売れ残った塩鮭などカチカチのしょっぱい鮭ばかり食べてきた僕にはその鮭の美味しさは衝撃的だった。
そりゃぁさすがにさすがに魚屋のセガレだけあって生鮭なんか何度も(?)食べることはありますよ。ありますわ…。ええ。んでもね、これほどまでに新鮮でかつ、味に奥行のある鮭は今まで食べたことがなかった。
「すげえな…。秀吉…。こんなに魚を美味しくできる料理人なんだな。」
そして僕はこの美味しい魚料理を噛みしめながら昨日のことも同時に考えていた。
「こんなに料理の美味いホテルが『閉める』ことになるなんて…。一体どうしてなんだろう…。」
そういえば僕はこのホテル多吉の状況についてはそれこそほとんどと言って良いほど把握していなかった。今までわかっていることと言えば
1.ホテル多吉は登別温泉のメインストリート、ついでに言えば『登別ホテルグランデ』の真正面に位置している。
2.秀吉は多分「ホテル多吉」のオーナー。
3.秀吉の私室、というか管理人室にてミミさん一家と僕は暮らしている。
4.カツさんというメガネ中年男性の従業員がいる。
5.猫がいることはお客さんには秘密にしておかなくてはいけないみたい。
6.温泉はヌルヌルしていてかなり気持ちいいしノミもダニも取れちゃう。
7.秀吉の料理は超一級品。
以上だ。
…そして僕は更なる状況把握に努めるべく、チョビとプリンとホテル多吉探検を始めた。本当はミミさんにホテル多吉について色々聞いたり、調査することを直接お願いしたり相談したのだが、
ミミさんが
「私は最近あの穴にお尻が通らなくて…。チョビとプリン。お兄ちゃんに色々教えてあげてね!」
と半ば言い訳がましく強引に小柄な子猫同士での行動を後押しして不貞寝したのだった。
女心って猫も複雑なのね…。そう思わずにはいられない一コマだった。
そんなわけで緑雲荘からの道程、あれほどまでに警戒心の強かった母猫が僕ら子猫たちだけに行動せよ。と言ったのには色んな意味で違和感を感じたが、僕らは結局、子猫3匹で館内探検をすることになった。
僕らの住む恐らく管理人室というかオーナー室と思われる部屋の勝手口には緑雲荘にもあったキャットウォークがあった。そこから猫は自由に外に出られる仕組みになっているのだが、その外からホテル館内に侵入できる秘密の抜け道があった。
「お兄ちゃん、こっちだよー。」
チョビとプリンに『その抜け道』に案内してもらった。
恐らくボイラー室なのだろう。何本もの配管が走っていて、換気扇からだけではなく、古くなった配管ところどころから蒸気がもくもくと立ち上がっているところがあった。
そんなボイラー室と思われる部屋の、コンクリートブロックでできた基礎の間には猫一匹がぎりぎり通れる穴があった。
その穴に慣れた感じでチョビもプリンも何の躊躇もなくスイッと入っていった。
「えぇーっ!?怖くないの!?ちょっと待ってよ!!」
僕も顔を恐る恐るその穴にねじこんでみた。しかし、真っ暗だ。
「お兄ちゃん大丈夫だよ。」
の声に、感覚的に(つまり野性的に)チョビとプリンの真似をして両手両足を畳んで思い切ってジャンプしてみた。すると、意外にも僕のジャンプが綺麗だったのか全く体のどこもぶつけることもなく僕は穴の中へと入って行けた。
猫とは不思議なもので。
顔というか、『髭』が問題なく通る穴には体もスッと入れるのだ。
逆に言うならば、『髭』の引っかかるような穴には体もつっかえる。
つまりつまり。『猫の髭は体が通れる幅を測るアンテナ』なんだ!ということを体感した瞬間だった。
さて。そんな猫の生態雑学は置いておいて。
僕らはその薄暗いボイラー室の縁の下に侵入した。すると何メートルか先にスポットライトのように光が差す穴があるのが見えた。その穴まで行ってみると、なるほど子猫がギリ通れるくらいの穴だった。
その穴をよじ登り、僕らはホテル多吉への潜入に成功したのだった。
そこは明かりが煌々としていて、大型の洗濯乾燥機が5台ほど並んでいた。
「ランドリー室」とでも言うのだろうか。
轟音を立てて回る洗濯機の前にはシーツや浴衣やタオルなどが雑多に見栄えも悪く渦高く積まれてたカーゴが順番待ちをしていた。
このランドリー室は乾燥機の熱のせいかかなりの暑さだった。そしてその暑さを逃がすためなのか、この部屋にはドアが無かったので、すんなりホテル多吉館内へと僕らは入ることができたのだった。
しっかし、んまぁそういうわけで。我々生後一か月程度の『子猫探検隊』はホテル多吉の実態調査をしていくことになるのだが、それは困難を極めた。
ここから僕の人生、いや、僕の猫生はトム・クルーズ顔負けの…『ミッション・ニャンポッシブル』へと移行していくのである。
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