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<<第25話>>
「起きろぉー。風呂だぞぉー。」
という秀吉の声で目覚める。
命名の儀にて「おにぎり」という大変ありがたい、否、ありがた迷惑な名前を授かった僕とミミさん家族はもう食べきれません!というほどに刺し盛りを食べ、そして居間の石油ストーブの前に敷かれた例の座布団の上でみんなで団子になって眠っていた。みんなで寄り添って眠るというのはとても暖かく幸せな気分だったのでもう少し寝ていたかったのだが。
「うぅーーーん。おじいちゃん。もう食べれない。。。ムニャムニャ。」
とチョビが寝惚けながら答える。
「お風呂!?入る入るー!早く行こ!」
プリンはお風呂というキーワードにムクッと起き上がって催促するように秀吉の足にしがみついた。その様子がなんだか可愛くてニヤけてしまう。
「じゃ行きましょうか。お風呂。」
ミミさんが起き上がって僕に頷くと、チョビの顔を舐めて起こした。
「良し。いくぞ皆よ。」
と秀吉は言うと、籐で編まれた籠を床に置き、僕たちを一匹ずつ籠に入れた。そしてバスタオルで籠に蓋をすると、籠を抱え上げて歩き出した。
チョビは訪れた暗闇に再び眠りにつく。
「わーい。お風呂お風呂ー。」
プリンはお風呂が大好きなようで、まるで歌うように声を弾ませて言った。
すると
「シーッ!」
ミミさんがたしなめる。
「静かにして。お風呂まで我慢よ。」
「はーい。」
籠にバスタオルで蓋をしたのといい、ミミさんが声を出さないように言ったところを見ると、僕らは人知れず隠密にお風呂に行かなくてはならないようだ。
僕は籐のちょっとした編み目から見える外の様子を注意深く観察してみた。
僕らのいた部屋は普通のどこにでもある日本風家屋の和室の居間。という感じだったのだが、ドアを開けるとそこにはズドーンと長い薄暗い廊下があった。
そうだ。ここはホテルなんだよな。
深夜なのか、館内は最低限の照明にしているようだ。廊下をしばらく進むと、右手にカウンターがあって、左手には広めのロビーが見えた。赤っぽいソファーとテーブルが並んでいる。そして奥にはお土産売り場のようなものがあったが、カーテンが閉められ、小さな照明が灯っているだけで人気は無くしんと静まり返っていた。
さらに廊下を進むと、左右に明かりの灯る部屋があった。
左側は自動販売機がいくつもある部屋でジュースやお酒やつまみが売っているようだ。その反対側は喫煙ルームであることがわかった。喫煙ルームのガラス戸の向こうでは浴衣を着て白いスリッパを履いた30代くらいの男性がひとりタバコを吸いながらスマホをいじっていた。スマホに夢中なのかこちらに一瞥もくれることなく煙を吐き出し指を動かしていた。
その先には上階へと続く階段があって、遊戯室、マッサージ室と書かれた部屋があったがいずれも消灯していた。
そして突き当りであろうところに「大浴場」と書かれた入口があった。
右側に「男湯」左側に「女湯」と書かれたそれぞれ青と赤の暖簾がかかっていて、暖簾の下にはそれぞれ「清掃中」というよく公衆トイレで見かける黄色いスタンド型の看板が人の進入を遮るように置いてあった。
なるほど、深夜のお客さんが使用しない時間に秀吉やミミさん家族はここでお風呂に入るのだろう。
秀吉が男湯の暖簾をくぐると、そこには頭に白い手ぬぐいを巻き、エンジ色の体育ジャージを着て、フローリングの床をせわしなくぞうきん掛けする小柄なおじさんがいた。
「おぉ。カツさん。ご苦労さん。」
苗字なのか名前なのかわからないが、とにかく彼の呼び名はカツさんと言うようだ。カツさんはこちらに向き直って正座をした。温泉のせいなのか汗のせいなのか、メガネが完全に曇っていてその表情は読み取れなかったのだが、その曇りを拭うでもなく
「旦那様。本日は女性のお客様が時間を過ぎてもなかなかお出にならなかったので、男湯から掃除しております。申し訳ありませんがお風呂は女湯をお使いください。」
と言って一礼した。
「そうか。ではそうするよ。」
そう言うと秀吉は踵を返し、女湯の方に向かった。
「なるほど。旦那様ってことは秀吉はここのオーナーなのね。なるほどなるほど。」とわかったところで僕は大事なことに気付いた。
「ってちょっと待って!女湯って言った?女湯ですとーっ!人生初、というか猫生初の女湯侵入ですーっ!やったー!神様ありがとうー!生きててよかったーっ!一度死んだけどーっ!」
心の中で叫ぶも、すでに女湯も営業終了していて無人であることにさらに気付いて、興奮してしまった自分が恥ずかしくなる。その上
「お前さ…。ホントに馬鹿だな…。」
と辟易する猫神様の顔が脳裏にカットインしてきたので恥ずかしさが倍増する。
秀吉は女湯の暖簾をくぐると、入り口にある電気のスイッチをパチンパチンパチンパチン。と入れた。そして何歩か歩くと籠を下におき、服を脱ぎ始めた。脱衣所のようだ。
うーん。なんだろう。このガッカリ感。女湯でじじいの裸を拝むことになるとは。トホホ。
秀吉は服を脱ぎ終えると籠を覆っていたバスタオルを取り上げて棚に置き、僕らを一匹ずつ籠から取りあげた。
籠の中が暗かったため一瞬眩しくて目がくらんだが、目が慣れるとそこはどこにでもある銭湯の脱衣所のようなところだった。ロッカーがあって、鏡台があってドライヤーがあって、マッサージチェアがあって、体重計があった。僕の期待にめちゃめちゃ反して全くのお色気ゼロだったことは言うまでもない。
「やったーお風呂お風呂ー。」
うなだれる僕とは正反対にプリンがうれしそうに、飛び跳ねるようにマッパの秀吉について駆け出す。チョビは寝惚けて床にべったりとしていたがミミさんに誘われておぼつかない足取りで歩き始めた。
僕もその後をゆっくりと辺りを見回しながらついていった。
ガラガラガラ。と秀吉がガラスの大きな引き戸を開けると、緑雲荘と同じゆで卵のような硫黄の匂いがフワッと漂ってくる。
大浴場の中はとても広かった。鏡やシャワーの付いた洗い場が手前からL字型に十数個ほどあって、その奥に大きな湯船と水風呂と思われる小さな湯船があった。大きな湯船の右奥には岩でできた山から小さな滝のように温泉が流れ出ていた。
秀吉は洗い場の一番奥まで行くと両手で洗面器を二つ取って大きな湯船のそばに置くと、大きな湯船から手桶でお湯を汲み上げ洗面器に注いだ。そして今度は小さな湯船から手桶で水を汲み、2つの洗面器に少しずつ注ぎながら手で洗面器の中のお湯を掻きまわした。湯の温度を調節しているようだ。
「よし。いい湯だ。さ、おはいり。」
とこちらを向いてニッコリと微笑んだ。それをきっかけにプリンが待ってましたとばかりに躊躇なく洗面器の湯船に飛び込んだ。
「ね、熱くない?」
チョビは恐る恐る洗面器の中のお湯をチョンチョンと触っていたが
「大丈夫、ちょうどいいよー!」
とプリンに言われると、意を決したように洗面器にダイブした。
「ね!」
猫はお風呂や水が大嫌いなイメージがあったが、二人はお風呂が大好きな様子だ。
すでに二人は並んで洗面器のフチに顎を乗せて目をつむり、「極楽。」と顔に書いてあるような表情をしている。
お風呂なんていつぶりだろうか。人間の時以来だよな。でもさ、お風呂が嫌いな猫ってお湯が猫にとって熱かったり冷たかったりするのかな。そんなことを考えながらポカンとしていると
「おにぎりよ。怖いか?うちの湯は最高だぞ。さ、入れ。」
といきなり秀吉に首根っこを掴まれて強引に洗面器に張られたお湯の中にドボンと浸けられた。
「ちょ。まって。て。わわわわ!…ん?超気持ちいいーっ!」
冷えた肉球の血管がじわーっ。と広がっていくような感覚があり、全身が毛に覆われているからだろうか、体全体にゆっくりとじんわりと温かい温泉がしみ込んでくるような不思議な錯覚に襲われた。
「ふぅー。やっぱ風呂だなぁ。生きてるなぁ。」
と親父が昔良く言っていたセリフが口に出る。幸せな瞬間に人間は、というか猫だけど、生を実感するのだな。うん。
人間ならば湯船に入って仰向けになって天井を見上げるであろうけれど、洗面器風呂は子猫の僕にとっては家の湯船より広く、そして深かったので、僕もプリンとチョビの横に並んで洗面器のフチに顎を乗せて湯に浸かることにした。
ミミさんは隣の洗面器に独りで入ったのだが、ミミさんには洗面器は少し狭いように見えた。ミミさんも
「はぁー。気持ちいい。」
と目をつむってやはり洗面器のフチに顎を乗せてお湯を堪能していた。
秀吉はその様子を見て
「気持ち良いだろう。よしよし。」
と満足げに頷くと、洗い場で体をゴシゴシと豪快に洗い始めた。秀吉はいったいいくつなのか、そう疑問に思うほど、しわしわの顔とは真逆で無駄な贅肉の無い筋肉質な体をしていた。
一通り体と頭と顔を洗うと、秀吉は僕らの洗面器をまたぎ、人間用の大きな湯船にゆっくりと浸かり、両手両足を伸ばした。
「ふぅー。やはりうちの湯は一番じゃ。」
とやはり天井を見上げて言うのだった。
しかし秀吉はしばらくすると天井を見上げたまま、独り言なのか僕らに語り掛けているのかわからないがポツリ。ととんでもないことをつぶやいた。
そのつぶやきのおかげで、「おにぎり」と命名されしばらく安寧な日々が訪れるかと思われた僕の運命は息をつく暇もないほどに転がって行くのである。
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※本作品は小説投稿サイト「小説家になろう」に同時投稿しています。
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