<<これまでのお話>>
<はじめに>
<第1話><第2話><第3話><第4話><第5話>
<第6話><第7話><第8話><第9話><第10話>
<第11話><第12話><第13話><第14話><第15話>
<<第16話>>
バタン!という車のドアを閉める音で目が覚めた。
帰って来たのか…。ふぁーぁ。寝たなぁ。
と狭いキャリーケースの中で伸びをすると綾さんがキャリーケースを持ち上げて、歩き出した。
見た感じ辺りは暗く、すでに夜になっていた。しかしいつもの温泉や土や森の匂いがしない。どうやらここは緑雲荘の駐車場ではないみたいだ。
「ん?あれ?」
どこに連れてゆかれるのだろう。と不安になってキャリーケースの扉のところまで行き、よく見回してみる。どうやら住宅街のようだ。
「ここどこ?」
振り返ってママに尋ねる。
「坊やが注射を打ったから、今日はおうちに帰らないで綾さんのお家に泊まるのだそうよ。」
「そうなんだ。」
綾さんの家は確か酪農家だったはずだが、こんな住宅街の中にあるのだろうか。そう思いつつ外の様子を見てみる。
さすが夜行性の動物だけあって、暗くても見たいものにピタリとピントが合う。
そして、通りの向こう側にある看板が目に入ってきた。
「えーっと。なになに。大塚産業株式会社札幌支店…。と。ふむ。……ってなんですとー!さ、札幌ーっ?」
札幌-登別間が相当遠いのは知っていた。昔緑雲荘に遊びに来たときに、じいちゃんと車で札幌観光に来た事があるからだ。
そんな驚いてあたふたしている僕を尻目に綾さんはズンズン歩いた。そして2階建てのアパートらしき建物に着くと、綾さんは階段を上がり、あるところで立ち止まると一旦キャリーケースを地面に置いた。
その後鍵をガチャと回す音とドアを開ける音が聞こえる。
再びキャリーケースが持ち上げられると僕らは綾さんと一緒に部屋に入った。
「ただいまー。」
と言うが返事はないし真っ暗だ。
綾さんは玄関にある電気のスイッチをパチッと入れると靴を脱いでこたつのあるリビングダイニングキッチンを通り抜けて、引き戸の開け放たれたベッドの置いてある奥の部屋へと入っていく。
見た感じ、1LDKといった感じで、他には誰もいないようだ。
ということは、ここは綾さんの実家ではなくて、綾さんが一人暮らしをしている部屋なのだろう。
キャリーケースがグインと急に上昇したので、よろけていると、綾さんの顔が目の前に来てちょっとビックリする。
「ちょっと待っててね。」
と言うとキャリーケースが緑色のカーペットの床に下ろされた。
「うー寒い。」
という綾さんの声のあとに、カチチチチチ…ボワッ。という音がして、部屋に灯油の匂いが充満する。どうやら石油ヒーターを点けたようだ。
ここが綾さんの部屋か…。しっかし、人生初にして女性の部屋というものにこういう形で来ることになるとは…。ちょっとドキドキしてきたぞっ!
などと思っていると、目の前にいきなり綾さんの足が現れた。
何かモゾモゾしている音がする。
すると綾さんがさっきまで来ていた白いニットが向こうにあるベッドに投げ捨てられるのが見える。
「え?まさか。綾さん服着替えてるの?」
と思った矢先、今度は足が動いてデニムが脱ぎ捨てられ、綾さんの生足が見える。
「ぬおぉぉぉーーー!!っということはっ!綾さんは今っ…!!」
僕はキャリーケースの扉に顔を擦りつけるようにしてみたり、地面スレスレから上をのぞき込もうとしてみたりしてなんとか綾さんの全体像を拝もうと試みたが、どうやっても綾さんの膝上くらいまでしか見えない…。全然見えない!
「うおぉーーー開けてくれよぉー!」
と監獄の中の囚人さながらに心の中で叫ぶも届くはずもなく。生足が僕の視界を1度2度通りすぎた。そして3度目に現れたとき、それはスエットを履いていた…。
「ごめんね、お待たせ。」
スエットの上下を着た綾さんが目の前にしゃがみ込んで扉が開けられる。
「綾さん…。順番逆。まず開けてから着替えてくださいね…。」
猫なのですでに落ちた肩を、気持ち的にガックリと落とした僕はママと一緒にキャリーケースから外に出た。
見回してみるとそこは6畳ほどの部屋だろうか、ベッドと机と本棚と箪笥があった。
女の子の部屋と言うと、ピンク系が多かったり、ぬいぐるみがいっぱいあるイメージだが、そんなものは一切ないようだ。白い壁に花や動物の写真が何点か飾られていて、家具は無垢の木目の家具で統一されて、結構あっさりしていた。なんかお洒落なカフェにいるみたいだ。
綾さんの部屋をもっと色々と見てみたかったが、寒かったので僕とママはとりあえず部屋が温まるまでヒーターの前で体を温めることにした。
「大きな声出しちゃダメだからね。わかった?」
「はーい。」
と二人で返事すると
「わかればよろしい。」
と言って綾さんはそそくさとキャリーケースの中のペットシーツを取り替えた。
そして今度は何やら段ボール2つとカッターを持ってきて段ボール箱を半分に切り始めた。
半分になった段ボール箱に入口となる切り込みを入れ、キャリーケースに敷いていた少しおしっこの匂いのするペットシーツを一枚と新しいペットシーツを敷き詰めると
「これがトイレね。」
と言って一旦僕たちに臭いを嗅がせると、部屋の隅に一つ置いた。
そしてもう一つ小さめの段ボール箱を半分に切ると、今度はそこにタオルを敷き詰めた。
「で、これがベッドね。今日はここで寝てね。」
と言って綾さんのベッドの脇に僕ら用の段ボールベッドを置いた。
綾さんは腕組みをしてそれらを一瞥すると、納得するように頷いて
「よし!できた!それじゃごはんにしよっか!」
とキッチンへと向かい、料理を始めた。
綾さんの後姿を見ていると、何から何までとにかく手際が良い。次に何をするか。どんな順番で取り掛かるのか。というのがすでに頭にあるのだろう。部屋に入った瞬間から止まることなく、無駄な動きを一切せずに動き続けている。
その様子を「スゲー…。」とボーっと眺めていると
「久しぶりに来たわ。綾さんの部屋。」
ママが部屋を見渡しながら言う。
「え?ママここに来た事があるの?」
驚いて聞き返す。
「ええ。おばあさんが帰ってこなくて、食べるものもお水もなくてね。何か飲まないと、食べないといけないと思って外に出て、水たまりの水を飲んだりしていたわ。そうこうしていると足湯のところに来た人たちが、お水や食べ物をくれたのよ。でも、ある時もらった食べ物の中に食べてはいけないものがあったみたいなのね。」
「食べてはいけないもの?」
「そう。人間は食べれても、私たちが食べたら毒になるものがあるみたい。」
「へぇ…。そうなんだ。」
「吐いて、体が痙攣して、意識を失って。気が付いたら今日の病院にいたの。」
「そこで綾さんに会ったの?」
「そう。綾さんも驚いてたわ。もしかしてサクラちゃん?って。しばらく病院で過ごしてから、この部屋で綾さんと一緒にいたのだけれど、やっぱりおばあさんに会いたくておうちに帰りたくて。ある日ね、ずっと帰りたい帰りたい。って泣いていたら綾さん、怖いおじさんに怒られちゃって。うちはペット不可だからすぐにほかに持っていけ。って。」
「そうか、ここは本当はペットダメなんだ。」
「そうみたい。それで、車に乗っておうちまで送ってくれたの。それから綾さん、毎日おうちまでごはんを持ってきてくれるようになったのよ。」
「そうなんだ…。」
色々驚いていた。人間の食べ物でも猫が食べると毒になるものがあること。偶然にもママと綾さんが病院で出会ったこと。ママがここに来たことがあるということ。そして何よりも、綾さんがある日からずっとママにごはんをくれるためにここから緑雲荘までの距離を毎日2回も往復していたことだ。
恐らくかなり早い時間に起きてごはんを作り、緑雲荘に出向いてから学校へ行き、そして学校から帰ってはまたごはんを持って緑雲荘へ行き、帰宅する。そんな毎日なのだろう。
ガソリン代もバカにならないだろうし、何よりめちゃめちゃ時間がかかる。何時に寝て何時に起きているのだろうか。綾さんはなぜそこまで自分を犠牲にしてお世話をしてくれるのだろうか。
そんなことを考えていたら、あっという間にごはんが出来たようだ。キッチンの方から声が掛かかる。
「できたわよー!さぁごはんにしましょ!おいで!」
次話⇒<第17話>
※本作品は小説投稿サイト「小説家になろう」に同時投稿しています。
http://ncode.syosetu.com/n2762de/