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 ママが僕を咥えたまま部屋を出ると、そこには黒光りした板の廊下があった。

左隣に一部屋、向かいに2部屋ほどあるようだが、どれも扉が閉まっていて猫が入れる様子ではない。

ママは部屋を出て左側に向かうと、突き当りにある階段を僕を咥えたまま降り始めた。

どうやら僕たちがいた部屋は2階の角部屋にある寝室?のようだった。

 

1階に着くと、向かいに擦りガラスの障子のような引き戸があり、その隙間から中に入る。

そこはどうやらダイニングキッチンのようだった。

大きなテーブルがあり、椅子が4脚置かれていた。

ママは僕を咥えたまま、テーブルの上にジャンプし、テーブルの上に僕をゆっくりと下した。

「ここがおじいさんの席、おばあさんの席がここ。ママはいつもおばあさんのとなりか、おじいさんやおばあさんの膝の上にいたの。」

と言って、ママは懐かしそうな顔で椅子を眺めていた。

テーブルの向こうにはテレビがあり、それを見ながらおじいさんとおばあさんとママが楽しく歓談している様子が目に浮かぶ。

「テーブルの上はね、登ると怒られちゃうから登ったこと、あんまりないのだけれど。」

とママは申し訳なさそうに言う。

 

奥には大きなキッチンがあった。

一般家庭の倍以上はあるかというくらいの少し大げさなキッチンだ。

ここはお料理屋さんか何かなのかな…。

ママが僕を再び咥えて、テーブルから降りて、キッチンの方へ向かった。

「いつもここで大勢の人間のごはんを作っていたわ。」

「おじいさんとおばあさん以外の人間のごはんを?」

「そうよ。あるときからは、人間が少なくなって、おじいさんとおばあさんだけになったのだけれど。」

 

キッチンの右角には勝手口があった。

「ママはよくここでごはんを食べていたのよ。」

勝手口には、ビニールのマットが敷かれていて、そこにお盆が置いてある。

ここに餌や水の器を置いたのだろう。
 

そして勝手口の扉には小さい猫用の扉が付いていた。後から知るのだが、これはキャットスルーというやつで、猫や犬が扉を施錠していてもいつでも出入りできる動物用のドアだ。

「ここからお外に出られるのよ。でも坊やはまだ出ちゃだめよ。外は寒いし危険だから。」

「はい…。」

ママは僕を咥えると、今度はシンクに飛び乗った。

シンクでは、蛇口からチョロチョロと水が出ている。

「蛇口を閉め忘れたまま誰もいなくなっちゃったのかなぁ…。」

そう思っていると、ママが

「これはね、凍らないようにしているのだそうよ。おばあさんが言ってたわ。」

なるほど。良く洗面所の蛇口を閉め忘れると、母ちゃんから、「ここは北海道じゃないんだから!」と怒られた記憶がある。冬、寒い地方では水道管が凍結して破裂しないように水を出しっぱなしにするのだそうだ。
「ママはいつもここでお水を飲んでいるの。坊やも飲むかしら?」

ママは蛇口から糸のように流れ落ちる水を上手に飲んでいたが、僕には難しそうなので、断念した。

 

ママはおいしそうに水を飲んだ後

「さぁ、他の場所にも行ってみる?」

と僕に尋ねた。

「うん。行きたい。」

そう告げると

「じゃあ行くわよ。」

と言って僕はまたママに咥えられた。

ママはシンクから飛び降り、今来た道を戻った。

そしてダイニングキッチンを出て左に向かうと、その先には長い廊下が続いていた。

少し行くと、藍染の暖簾があり、それをくぐると右手に大きく明るい玄関があった。

そこで一旦ママに下ろしてもらう。


しかし大きい。一般家庭ではありえないくらい大きな玄関だ。

靴を横に並べたらゆうに20足くらいは並べられるのではないだろうか。

「ここは料亭とか、そういうお店なのかなぁ。」

と思いつつ、周りを見回す。

両側には大きな下駄箱があり、その上には木彫りの熊の彫刻や、キツネの剥製などが置いてある。

それを見て僕は既視感に襲われた。デジャヴってやつだ。

「この光景…。どこかで見たことがある…。まさか…。」

とっさに僕は玄関を入って正面の壁を見上げる。

それを見て僕は絶句した。

 

壁には「緑雲荘」と掘られた木の看板があった。

「えっ…。な…なんで…。」

緑雲荘は、この前、川で会った、母ちゃんの両親である、じいちゃんとばあちゃんが営んでいた8部屋ほどの温泉旅館だ。

住居兼旅館になっていて、じいちゃんが病に倒れて旅館は廃業し、ばあちゃんは亡くなるまで1人で住んでいた。
僕が小さい頃、何度か家族で来たことがあったし、じいちゃんやばあちゃんの葬儀でも来た事があった。しかしそのときは客室に寝泊りしていたし、食事はお客さん用の大食堂を使っていたので、今の今まで気が付かなかった。

 

それと、じいちゃんとばあちゃんは確か、サクラという名の捨て猫を飼っていて、その猫は看板猫としてお客さんに可愛がられていたはずだ。

「すると、ママは…もしかしてサクラ…なのか…?」

僕たちが遊びに来たときは猫嫌いな父の雰囲気を察してか、サクラが全く近寄って来なかったので、どんな猫だったのかほとんど記憶にない。

…しかしその予想は的中した。

 

緑雲荘の看板の下には「ようこそ!登別温泉へ!」と書かれたプレートがあり、その下に大きなコルクボードがあった。

そこには、色紙に書いた寄せ書きや、写真、はがきなどが所せましと貼られていた。

「緑雲荘さん!ありがとう!」

「旦那さん、おかみさんありがとう!また来ます!」

「お食事がとてもおいしかったです!」

「登別温泉、緑雲荘最高!」

「また来ます!その時はよろしくお願いします!」

など数えきれないくらいのメッセージや、じいちゃん、ばあちゃんと写るお客さんの写真があった。その中には、やはりママの写真が何点もあった。

「サクラちゃん元気でね!」

「来年もいっぱい遊ぼうね!」
「サクラちゃんにいっぱい癒されました!」 

というメッセージとともに写るママの写真。
 

それを見ながら僕は泣いていた。 

そのボードには幸せがいっぱい詰まっているのに、それが壊れてしまった悲しさ。
何も知らず、何も出来なかった、何もしてこなかった自分への悔しさ。
ママがサクラであったことの驚きや、感動。
今まで感じたことのない、色んな感情が渦巻いて、喉の奥が締め付けられるような痛みを伴って、僕は泣いた。
僕の様子を察してか 

「ごめんね坊や。ちょっと怖かったかしら。体も冷えただろうから、戻りましょう。」

と言って、ママは僕を咥えていつもの押入れの中へと帰っていった。

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※本作品は小説投稿サイト「小説家になろう」に同時投稿しています。
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